50歳を迎え、国の制度上大人になって30年も経ったわけですが、こんな大人で申し訳ないと思うことが多々あり反省の毎日です。そうは言っても大人が楽しそうにしないと、若者たちも大人になりがいもないことでしょう。そこで、大人の基準などを考えてみましたけど、それは別の機会にして、今日は大人の入口「暗闇の恐怖」について語ってみたいと思います。
私、小さい頃は、暗闇の恐怖で泣き出す子どもでした。近所に外科医院がありまして、そこの外観が廃墟っぽい構えで、夜はそこの前を通るのがとてつもなく怖かった。また、母の実家が佐賀県の八幡岳の麓なのですが、世界は暗闇どころか黒いピアノでも反射で明るく見えるのに、そこは木炭でできたのではないかと思うぐらいの漆黒の世界。夏休みは夜の8時以降は玄関の外に出たくありません。ところが、田舎というのは便所(トイレと表現したいところですが、完全に便所です)が外にある。そこまでのみちのりがまず泣きそう。辿り着いて安心ではありません。最難関は便器。もうお分かりだと思いますが、汲み取り式ゆえに便器の下は奈落へつながっているのではないかと思うほどの闇の世界なのです。小さい頃は怪談話が流行っていまして、だいたい汲み取り式の便所からは幽霊の手が出てくると相場が決まっています。それが頭から離れません。よくてカッパ。カッパなんて、お尻を見られたら恥ずかしい!ぐらいのものです。便所の闇から幽霊の手は、想像すると本当に怖かった。
そんな暗闇の恐怖。普通はそれを「いつしか」克服しているのだと思うのですが、私はどうやって克服したのか、鮮明に覚えています。
2つのきっかけがありました。両方とも小学校5年生の時のことです。ひとつは、その八幡岳の麓にある母の実家での叔父の死。もうひとつは近所の子ども会で出かけたキャンプでした。まずは叔父の死。叔父は当時42歳ぐらい。まだまだ活躍できる年齢だった思いますが、膵臓の病気で亡くなりました。急ぎ駆けつけその日の晩。そうお通夜です。子どもたちは寝なさいということで、それぞれ布団に潜り込むわけですが、私は2階の部屋を充てられました。暗闇が怖いので豆球をつけています。叔父の死があったとはいえ、従兄弟たちの会話も弾んだ後ですので、なかなか寝付けず、布団の中でボーってしていましたら、「バチ!!」という大きな音とともに、すべての電気が消えてしまったのです。今、考えるとブレーカーが落ちただけだったと思うのですが、下から大人たちの声が聞こえます。「おーーい!降りてこーい」酒に寄った大人の情け容赦ない声は悪魔の呼び声のよう。ありったけの勇気を振り絞って階下に降りたのですが、その時に電気がついて大人たちの笑顔。「どや!怖かったやろ!でも、心配せんでもええ!なんちゃない!」実際に「なんちゃなかった」というより、暗闇で見えない世界だとしても、頭の中で考えた怖いもの「幽霊」とか「妖怪」とか「悪霊」はいないということに気付きました。(悪霊についてはこれもまた別の機会に)
そして、子ども会のキャンプ。もちろん大人引率です。こういう時に限って大人たちは肝試しをやりたがるわけです。夜の8時過ぎ、玄関前集合で近くの雑木林まで全員で移動。広場に到着して、2人1組に分けられ、明かりのない獣道の奥にある石塔に置いてあるリボンを取ってくるというのがルール。僕の相棒は小学校3年生。僕は5年生ですから、かっこ悪いところを見せられません。ええかっこしたいプレッシャーと恐怖の戦い。勝ったのはええかっこしたいプレッシャーでした。僕達2人はちゃんとリボンをゲットし、戻ってきたのです。この後、大人たちは教えてくれました。
「怖いと思うもののほとんどは自分が頭のなかで想像したもので、実際にはそんなものはいないんだ。だから暗闇の中を歩くというのは、すごく勇気がいることではない。怖いという想像をしないことが大切なんだ。怖いもの知らずというのは失敗もあるけど、時と場合によっては怖いもの知らずになったほうがいい。これから先も暗闇を歩くようなことがあるはずだ。」
昔の大人はいいことを教えてくれたものです。暗闇の恐怖を克服するのは、決して勇気ではなく、恐怖を想像しないこと。この教えは今でも大切にしています。
起承転結揃いました^^;
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