我が家は曹洞宗ですので、父が死んでから一番身近になったのが般若心経です。
父の霊前で般若心経を読むわけですが、そもそも般若心経には何が書いてあるんだと思い始めました。ちょうど、サイトで見かけたのが、般若心経の現代語訳。
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
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見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
この般若を覚えとけ。短い言葉だ。意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』心配すんな。大丈夫だ。
読めば簡単に気付くことがあります。
これは死者を弔うための言葉ではない。
当時47歳でしたから、これに気付くのに物心ついてから40年以上かかったわけです。
これに気づいて、お寺の住職に声をかけました。
「般若心経は読んでいる人たちに向けて説かれているものですね」と。
住職はニコッと笑いながら言いました。
「仏の教えには、死んだらどうなるなんてのはない。むしろ、死んだらどうなるかわからんと言っている。地獄だの極楽だの亡者だのは、後からくっつけたり、違うものと交わったりして完成されたものなんです。そんなものも空。仏の教えは一つだけ。生き方を説いています。それに気付かれたのはご立派。」
霊前でお経を唱えるのは亡くなった方を前にして生きている者がこれから先の生き方を約束している行為なんでしょうね。お経は亡者の為ならず、生者の為にこそある。
ただし、般若心経は阿弥陀様を掲げる宗派には当てはまりませんのでご注意を。阿弥陀様が導いてくださることが教の中心ですので。
この話、亡くなった彼女との最後のデートのときに出た話題です。そして、これも後から知りましたけど、亡くなった彼女さんは浄土真宗でしたので、般若心経を読んではいけない宗派。ここがオチですね。でも、感心しながら聞いてくれたのが、後からジワッと嬉しく感じました。
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