来週は東京。最後に行ったのは10年前だ。それは羽田と池袋の間を往復しただけの特別な感想を持ちようのないビジネス出張。今回は違う。木曜日の晩から日曜日の晩まで、全てをプライベートな時間に充当することができる。元々は予定を組んでいたのだが、先週になってご破算になってしまった。一度は行くことそのものをやめようかとも考えたが、1件古くからの友人との約束もある。そうであるならば、いっそのこと昔の姿の記憶を辿ることで自分がどんなに頑張っていたのかを自分に語る旅にしてみようと思う。過去の栄光は他人にとっては、かみ終わった後のガムぐらいの価値しかない。だから他人にはしないのだが、自分の心にまでしないと誓う必要もないだろう。自分に「昔これだけ頑張ったのだ」と語りかけるのは、誰からも文句は言われない。そしてそれは、セピア色の写真に筆で色を塗っていくように、きっと楽しいものになるだろう。
今回の目的地は大手町、丸の内、銀座、六本木、江ノ島、鎌倉、横浜。平成元年から平成11年まで、そしてその後も2度に渡り都合1年間を長期出張で過ごした街だ。バブルの絶頂期に丸の内で働いていた。今では長時間労働は企業の恥だが、その頃の長時間労働はビジネスマンの誇りだった。24時間戦えるのがジャパニーズビジネスマン。戦わなくともファイティングポーズを崩すことは許されない。今ではノーネクタイも立派な戦闘態勢だが、平成の初期は家を出る時から家に帰り着くまでネクタイを緩めることはしない。それは気を緩めないことと同じなのだ。30年前は違う価値観の中でオンタイムが流れていた。大手町、丸の内、銀座は全て徒歩圏内。昼飯の選択肢は多かった。ただし値段の選択肢は少なかったように思う。地方出身の新人ビジネスマンの懐事情には非常に辛かった思いがある。当時、自分の財布では食えなかった東京の鰻でも食べてみようと思う。
大手町、丸の内、銀座、六本木がオンの街なら、江ノ島、鎌倉、横浜はオフの街。海近くで生まれた者には、どんなに都会であっても潮風の芳を探すことのできる横浜は平常心になれる街だったし、ましてや波の音が聞こえる江ノ島鎌倉は大好物だったと言って良い。湘南の砂は黒い。黒いというより、白と黒の比率で言うと黒の多さが目立つのだ。太平洋に面しているせいで、きっとマウナケアの溶岩が混じっているからに違いない。約1000キロ離れた日本海側に面している九州の北海岸の砂は白い。それとの対比で湘南の砂浜に落ちる影は九州よりもやや薄く感じるのだ。そうやって命を少し薄くしてしまうような湘南の海には足をつけたことがない。それだけが心残りだった。3月の湘南の海はまだ冷たいだろうから、サーファーでもない者には辛いだろう。夜には横浜へ行こうと思う。凪をすぎると潮の芳は微香のように柔らかくなるものだ。50男が一人で山下公園でもあるまいが、そんな潮の芳を楽しむため、そしてそのために彷徨うだけに横浜はあるのだと言って良い。
ということで、待ってろ首都圏!田舎者の熱い東京レポートを書こう!
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