人は最後の瞬間まで希望と幸せを諦めなくて良い

先日、インターネットを覗いていてみつけた記事。「人生が終わる18時間前に結婚した花嫁が教えてくれたこと」という内容。

tabi-labo.com

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読者への質問

この投稿の最後に、読者に向けて共感を持ってほしいことが書いてある。
その上で質問したい。

あなたなら結婚する?

結婚直後に花嫁に旅立たれた花婿は幸せなのだろうか?

周囲の祝福は意味のあることなのだろうか?

人生の最後を迎えようとしている花嫁は、花婿を残していくことに葛藤はないのだろうか?

この記事にどんな共感を覚えるか?

人それぞれだけど、僕なりの考えは

僕は高齢者福祉の仕事に携わっている。証券会社や不動産デベロッパーや学習塾の勤務経験を積んた上での高齢者福祉の選択は、ハローワーク曰く「奇跡的天職チョイス」と言われた。そんな僕の仕事はまさに今日のタイトル通り。

「人は最後の瞬間まで希望と幸せを諦めなくて良い」のだ。

僕が花婿だとしたら、喜んで結婚するだろう。
僕は18時間後に花嫁に旅立たれたとしても、大きな幸せを感じるだろう。
周囲の祝福に感謝するだろう。
花嫁の葛藤はわからないけど、僕が残されることの葛藤はない。

この記事は、まだ若い花嫁の話だから、切なくもあり、可愛そうでもあり、生き方として心を打つのだが、これは高齢者でも同じだ。
様々な経験を積み、酸いも甘いも知り尽くしているかもしれない。しかし、残りの人生が少ないからと言って幸せや希望が少なくてもいいわけではない。

大切なことなので、もう一度言おう。

「人は最後の瞬間まで希望と幸せを諦めなくて良い」

マルチン・ルターの言葉

「たとえ明日世界が滅ぼうとも、今日私はリンゴの木を植える」
映画「感染列島」でも使われた名言。

余計な情報を加えると、マルチン・ルターが宗教改革を志している時に放った言葉のはずなので、人としての生き方云々と言うよりも、既存宗教への複雑な思いと自分の立ち位置を併せ持って述べられたのだと思うので、実はロマンティックではないかもしれないが、もうこのまま頭の中にインプットしておこう。

僕の話だと

僕は付き合っていた人を亡くした経験がある。結婚しても良いと思っていたが、それが叶う前に彼女は天国に旅立ってしまった。その知らせを聞いたときは、人生最大の絶望津波に飲み込まれた瞬間といってよい。
すでに火葬された彼女の遺骨の前で、彼女の家族にいろいろなことを話した。実はお互いの家族には付き合っていることを内緒にしていたのだ。その時は、お互いに年老いた親を抱えていたので、自分自身の幸せと同じくらいに親の幸せも大切だったので、あえて親の幸せの優先順位を高く置いていた。遺骨を前にした話はとても長くかかり、最後に僕から家族にお詫びとお礼を言ったのだ。
その時に、妹さんの一言が今でも僕の心に残っている。
「姉は死ぬまで幸せだったと思います。姉のこと大切にしていただいて、ありがとうございました。」
人は最後の瞬間まで幸せでいる権利があると思った。

エピローグ

最初の記事の花嫁と花婿が幸せかどうかは賛否両論があることだろう。しかし、それは所詮他人の意見だ。僕たちは最後の瞬間まで自分が幸せと信じるものを追い求めて良い。
人によって、その幸せが少し形を変えているだけなのだ。

僕ももう一度幸せを探さなきゃ!w

僕が生まれた頃の若松駅(福岡県北九州市若松区)

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この記事を書いた人

チームワークを得意とする介護業界に勤めるサラリーマン。Macで仕事をしていますが、それだけでモチベーションが上がります。時々、山に登ります。コタローという名の保護猫を飼っています。ゆったりマイペースで参りますので、よろしくお願いします。

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