精神障がいのある方への接し方
昨今の福祉に関する重要なキーワードは「共生」です。これは高齢者福祉も精神障がい福祉も同じだと思います。まずは精神障がいを持っている人が話をする機会を作ること、これについて「共揺れ」の気持ちを持つこと。共揺れという言葉を使っていましたが話を聞いているところでは「共鳴」でも良いかなと思いました。
障がい者が話すことで障がい者自身のセルフヘルプ(まずリハビリの入り口に立つ)を引き出し、「聴く(この漢字を使えとのこと)」ことで共揺れによる気持ちの同調と信頼関係を構築していくのです…というお話でした。
どの程度接触すべきかという距離感が難しいと思いました。普通の人ならなんでもない他人との接触が精神障がい者には強い刺激と受け取られ、新たな発症リスクがあるのではないかと思います。これも偏見の一つかもしれませんが、ちょうどよい接触度合いと病院のフォローが連携する必要があるのだろうと感じた次第です。
ひとつの気付き
ただ、接触する側の心構えとして、話を聞きながらイメージできたのは管理職としての立場です。部下からすると「障がい者と同一視するのか」と言われるかもしれませんが、障がい者を表す言葉として「課題に対して対処するチャレンジャー」が使われました。これは社会人そのものです。ただ障がいを持たない人が感じる影響の大きさの大小の違いではないかと思います。例えば「褒める」という課題が与えられました。「途中で投げ出した人を褒めなさい」というのです。これは障がい者へのアプローチだけではなく、アイデンティティを認めてあげなければならない部下に対しても使える方法です。そして、障がい者への接触の方法の多くは同じように応用可能だと思います。
地域社会への復帰
次に地域社会への復帰に関して、病院と地域の連携の取り組みについて福岡市内の精神病院の話を聴きました。試行錯誤の連続の中で、説得をし、協力者を集め、地域の中に取り込んでもらう。そのためには、病院のフォローも欠かせないものでした。例えば、高齢者福祉施設でも言えることですが、働いている人の感覚と家族の感覚と地域の感覚はそれぞれ温度差があり、交流や意見交換をしていかないとこの温度差は開いていくばかりです。老人の社会性の維持のためにはの理解を広めていくのはそれぞれの立場の意見が必要なのだと思いました。これは精神障がい福祉も同じで、もっと言えば児童福祉も同じです。児童福祉に温かい目を向けるように、高齢者福祉や精神障がい福祉にも温かい目をむけてもらいたいと願うところです。それには福祉側の歩み寄りが重要。さらに受け入れ側の寛容さも同じように重要だと思いました。
まとめ
精神障がいと戦っている、苦しんでいる、悩んでいる人のことはよくわかります。僕だって似たようなものです。多分、精神科の医者に罹れば何か病名がつくでしょう。本当に問題なのは、自分自身の弱さとか心の揺れから逃げている人、認めてない人ではないでしょうか。精神障がいは見た目では分かりません。それだけに病気と戦っているということは、ひとつ大きな勇気を持っていると思います。なのでセルフ・ヘルプが重要なのだと思います。その人たちのそっと手を差し伸べる社会。なにせ日本全体で80万人というのは小さな政令指定都市一つ分の人口と同等。これか先、日本は人口減少・高齢化社会の中で、ある一定割合で隣り合わせになることを考えると、できるだけ多くの精神障がい者が地域社会(職場とまでは言いませんが)に戻ってこれるように、自分自身がどのように社会参加をすべきなのかを考え直さなければならないと思います。
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