損切る勇気もそうだが、経営の一番大事な決断は「No」と言うことだ。
Noと言えばファンが減るだろう。顧客が減るだろう。従業員も減るかもしれない。株主も減るかもしれない。銀行も嫌な顔をするかもしれない。
闇雲にNoと言えばいいわけではない。Noと言う大義は必要で、Noと言いにくいときというのは往々にしてその大義を忘れがちになっているときだ。
身近なところで小さいことだがこんな話があった。私が所属している会社は高齢者福祉を業としている。もちろん24時間体制だ。私がこうやってブログを書いている間も誰かが働いているのだ。ある昼間勤務のみの部署でこんな声があがってきた。
「新しく仲間が増えたので歓迎会をやりたいのだが会社の補助を出してくれ」
そもそも歓迎会で会社から補助が出るという話を、30年間のサラリーマン生活の中で聞いたことも見たこともない。ま、それは置いておこう。前例主義を持ち出すと、時として間違ってないものまで頭でっかちに思われる。話を元に戻すと、人の入れ替わりが常にあるのが福祉の世界だ。昨日の歓迎会で今日欠勤というのはごく当たり前な話。それに夜勤専門で来ている人もいて、待遇条件の中で歓迎会が行われることもなく終わってしまう人もいる。さて、私は取締役だ。会社の運営で気をつけていることがふたつある。ひとつは経営資源の最適化。もうひとつは平等である。歓迎会に会社が補助を出すことをは職員への平等の確保が難しい。夜勤者はどうするの?ということだ。歓迎会に参加できない人に会社は何を代替として与えることができるのか?ことはそんなに簡単ではないのだ、なので、私の決断は「歓迎会をやることに反対はしないが、会社の補助はNo」
次の言葉は何だったのか?「社長から歓迎会をやれと言われた」
私はこの「社長の言われたとおりにやる」というのが大嫌いだ。「社長が死ねといったら死ぬのか?」多くの場合、死なないだろう。「社長が会社を潰そうって言ったら潰すのか?」多くの場合、反対するだろう。相手が社長でもダメなものはダメだ。法令違反があれば、逮捕されるのは社長と貴方だ。もちろん、この後、私から社長へお小言がある。正直な話、それで何度かクビになっているが、間違ったことがまかり通る会社で働くぐらいなら餓死したほうがマシだと思っている。私の決断は変わらずに「補助はNo」
小さなことをいくつか見逃していると、大義の感覚が麻痺してきて大きなことまで見逃してしまう。コンプライアンスが良い例だが、小さな法令違反を繰り返すと、大きな法令違反をやってしまう。小さなことをいい加減にしていて長く続いた会社を見たことがない。間違っていれば小さなことでもNoと言うべきだ。それを口に出せる会社が強い組織だと思う。
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