最後は訴えればいい

「パートナーシップが上手くいかなければ最後は訴えればいい」

少しずれている気がしなくもないが、こういうのをビジネスライクというのだろうか。そういう人に何人かあったことがある。私に向かって「裁判だ」と言った人も同類かもしれない。


言葉は自分に返ってくる。天に唾するものは自分に落ちてくるのと同じだ。結論を言おう。「最後は訴えればいい」と思う人には「訴えないと終わらない」人ばかりが集まってくる。これは私がそういう人の下で働いていたので数多く体感したことだ。その人の下で働いていたときは虚しいことばかりだった。パートナーと責任のなすりつけ合いの結果、弁護士事務所へ赴くことになる。弁護士から「勉強になる事案ばかり起こって、弁護士冥利に尽きる」と言われたことがある。私が持ってくる案件は全て勝てるものばかりだったので、そう言われるのも分かる。しかし、弁護士事務所に持っていくのも心労を伴うものだ。私がクレーム処理をしていて訴えられなかったのは「訴えても良い結果を得られない」ことを根気よく伝えていくからだ。

最後は訴えればいいと思う人は、物事のスタートを軽んじる傾向が高い。とにかく細かいことは後から考えることにして、良好な関係を前提に始めてしまう。これが社内であれば問題ない。60点で良いので早く取り掛かったほうがよいのだ。しかし、社外のパートナーシップとなると話は別だ。間違いなく「双方は悪意の塊だ」と思ってスタートしたほうが良い。となると、権利義務は細密に決めるだろうし、ビジネス全体が暗礁に乗り上げたときの解決方法をきちんと決めておくはずだ。つまり、きちんとしたビジネス・プロセスは「最後は訴えればいい」ということにはならない。「最後は訴えればいい」というのは打算的で拙速で愚かなことにほかならない。

スタートラインから「最後は訴えればいい」という立ち位置に立たない。これは重要な大原則である。

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この記事を書いた人

チームワークを得意とする介護業界に勤めるサラリーマン。Macで仕事をしていますが、それだけでモチベーションが上がります。時々、山に登ります。コタローという名の保護猫を飼っています。ゆったりマイペースで参りますので、よろしくお願いします。

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