人を除いて軽いことは良いことだ
人として「軽い」というのは褒められていない。軽い人がいることで雰囲気が変わることもあるが、重くても雰囲気を変えられる人がいる以上、やっぱり人は軽くない方がいいと思う。
Monoの軽さは
ほとんどのMonoは軽い方が良いと思う。車も本来は軽い方がいい。ベントレーやロールスロイスの存在感を否定するものではないが、我々凡人には非日常的な乗り物だ。同じくらい非日常的な乗り物として最高峰に君臨するのはF1だ。そのF1は軽量に作られている。規定重量にするためにバラストを積まなくてはならないぐらいに軽く作られている。ベントレーとF1を比較すると、もちろん偉いのはF1。結論づけると、「軽さは」とは存在そのものが「テクノロジー」と言っても良い。
何が言いたいかというとMacの話である
新しくMacBookを従えている私としては、当然「MacBook最高!」的なレビューを見ると小躍りしたくなるのだが、軽さのおかげで犠牲になっててしまった性能についての限界レビューを見ることの方が多い。MacBookはMacの中で一番軽量である。つまり、ハイスペックとは別の意味で一番テクノロジーがつぎ込まれているはずだ。「MacBookも選択肢に入る」と書いてあるレビューは、何処と無く「選択肢に入る」というレベルで、「MacBook Proはいらない!」とは書いてない。おそらく筆者は奥ゆかしい人なのだろうと想像している。
私の場合は
ラップトップを持ち歩かなければならない。メイン機があり、そのサブ機という扱いでMacBookというのが正し選択であることはよく分かっているが、ナイアガラの滝のようにお金が流れてくることはない。おまけに私自身はラップトップ至上主義だ。ラップトップに必ず付いているバッテリーというものに何度助けられたか分からない。「が」、iMacもほしい。MacBook Proもほしい。おまけに買おうと思えば買えないこともない。しかし限りある資源を有効活用するような思考が体に染み付いている。ここで妥協点を見出すしかないのだ。じっくりと「ラップトップと私」というタイトルで自分と向き合ってみた。
軽やかに持ち歩きたいよね
簡単に言ってしまえばこれだ。ハード的なスペックを犠牲にしても、持ち歩きやすさというソフト的なスペックを重視したくなる。動画の書き出しにMacBook Proの1.5倍かかろうが軽やかな持ち歩きの方が優先だ。外で動画編集することなんてないしね。ということで、MacBookを壊れるまで使おう!!!
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