介護離職 - 3

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介護生活とは

ケアマネージャーに介護保険証を預け、ここからようやく介護保険を使えるところまで来たが、まだ家族の負担は大きい。介護保険を使うにあたって、本人と家族の希望をきちんと考えて置かなければならない。ここで重要なのが「介護生活とは」という軸を考えておく必要がある。大体ここで食い違う。介護生活というものの啓蒙活動が万全ではないからだ。私なりに介護生活を考えると、理想の生活をイメージし、そこと現在の状態を差し引いたところが介護サービスである。ただし、現在の状態を少しずつでも良くしていくというのが大きな建前だ。行政やケアマネージャーに言わせると、それは建前ではなく介護の本質だと言うかもしれないが、年齢を重ねて元気になっていくなんてありえない。50代に入った私ですら現状維持も難しい。残存能力を引き出し体調の劣化にブレーキを掛けるというわけだ。これに自身の意欲というものが大きく関与していることも考えなければならない。

高齢化とは痛みに向き合うことでもある

もうひとつ、高齢者にとって避けて通れないことに痛みとの戦いがある。医療は痛みを取り除くことに大きなウェイトが置かれるが、介護状態とは痛みと上手に付き合うことを体に覚え込ませることだと思う。私の母は82歳。毎朝起きたときの第一声は「膝が痛い」だ。毎日整骨院に通っているが、薬や湿布や針やマッサージや電気も膝の痛みには効かないのだ。ただ、幾分楽にはなるようなので、これから先、寿命をまっとうするまで、この騙し騙し状態が続くのだろうと予想している。息子としては「痛い」と言われたら「そうだね~。痛いよね~。今日も我慢して整骨院まで行ってね」というのみ。これが痛みと付き合う本人の苦痛と、家族の思いやりだろうと思う。何もしてやれないけど、励ますことはできる。これが介護だ。

ケアマネージャーに希望を伝えると

ケアマネージャーは必要な介護サービスを選択し、事業所を選び、担当者会議を開催し、プランの実施を管理監督助言する。ものだと思う。管理監督助言せずに放ったらかしにして、トラブったときだけ文句を行ってくるケアマネージャーも多いと思う。いるのよ。クレーマーみたいなというか、揚げ足取りしかないケアマネージャー。そういうケアマネージャーに行き当たるのは本人と家族にとっても不幸なことなのだ。本人と家族に対しても、客観的冷静に現状分析したものの理解をさせなければ、ゆくゆくは…どこの介護事業所も受けてくれなくなるのだ。これでケアマネージャーが困るわけではない。困るのは本人と家族である。

それでも介護サービスは実行されると思うけど

やはり、心のこもってない介護というものがある。介護に心を込めるとは何なのか?一番分かりやすいのは、「高齢者の話を聴かないこと」だと思う。無視されたり、流されたりすることに人はどれほど傷つくことだろう。実は、それを一番わかっているのは自分自身のはずなのに、介護職員にその心が欠けていることがあるのだ。私たちの仕事はそこである。介護職員の心をいかに育てるか?にかかっている。おむつ交換したら終わりではない。お風呂掃除をしたら終わりではない。耳を傾けることに価値を見出して、教育を重ねていくことが「良い介護」の基本だと考えるのである。

ここまで揃ってはじめて職場復帰できるのだが

これで介護休業が終わり。ここまで来るのに、早くて2ヶ月。遅ければ3ヶ月だ。心のこもってないケアマネージャーや介護職員に行き当たると、家族の負担は大きくなるので、結局は職場復帰が叶わず、介護離職となってしまう。もうひとつ大事なことがあって、介護サービスは切れ目だらけだ。訪問介護サービスには2時間ルールというのがあって、サービスとサービスの間は2時間空けなければならない。私は考えるのだ「その2時間は生きるなってことなのか?」と。ちなみに24時間1ヶ月間まるまる介護職員を貼り付けると次のような計算になる。深夜残業は含まないよ。24時間×30日×時給1200円=864,000円。要介護5の人の区分支給限度額はおおよそ360,000円。。。全然足りてない。この約50万円が家族の負担なのだ。介護離職しちゃうよね。

我々がこの問題に最前線で取り組んでいる

私が勤めている会社は老人ホームを経営している。入居者様1人に介護職員1人を貼り付けず、職員を上手に配置することでこの50万円の差を効率的に埋めているのだ。入居者様ご家族様の月額の負担は多い人で16万円ぐらい。普通に12万円(介護・医療サービスも含む)。ぶっちゃけた話、一人の入居者様から入ってくる売上は月に25万円(介護保険からの9割が足されるからだ)ぐらいになる。先程の864,000円よりも遥かに小さな金額で24時間切れ目のない介護サービスを提供している。2時間ルールはあるが、その間に何かあったら適切な対処を行っている。
極端な話、親の面倒を見るのが体力的にも精神的にも限界に来ていると思えば、有料老人ホームに入れて生活保護を受ければいい。家族総倒れになるよりもずっと人間らしい生活が可能になることは保証する。

老人ホームは姥捨て山ではない

私たちは老人ホームの社会的存在価値の大きさを認識してもらうように頑張っているつもりだ。老人ホームとはどういうところなのか?私が入居説明をするときにはこう言っている。
「老人ホームは家族みんなの少しずつの不幸を寄せ集めているところです。あなたのお母さんは毎日あなたの顔を見たい。でも体が不自由になってきて思い通りにならないのに、あなた自身の生活を考え迷惑もかけられないと思っている。あなたの顔を毎日見れないという少しの不幸を背負って入居するのです。あなたは、それで経済的な負担という少しの不幸を背負うことになる。そういう小さな不幸を寄せ集めて、大きな不幸を防いでいる場所なんです」
困ったときには、ぜひ老人ホームを覗いてみてほしいと切に願う。

(終わり)

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この記事を書いた人

チームワークを得意とする介護業界に勤めるサラリーマン。Macで仕事をしていますが、それだけでモチベーションが上がります。時々、山に登ります。コタローという名の保護猫を飼っています。ゆったりマイペースで参りますので、よろしくお願いします。

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