小学生からの質問シリーズ。
「どっちが右で、どっちが左?」
この人は現在50歳になって、福岡県北九州市に住んでいる。この質問は小さい頃に封印してしまったけど、実は25歳ぐらいまで分からないままでいた。
私のことだ!
右と左が分からなくても、特段に困らないままに大人になってしまっていた。「参ったな」と思ったのは運転免許を取るときぐらいだったように思う。右が運転席で、左が助手席と無理やり覚えた。
まぁ、「正しい右を答えなさい」という試験もなかったけどね。
この質問を何度もする子どもがいたら、どうする?
一度二度で覚える子は問題ないけど、何度も質問してきたらどうする?「どう答える」ではない。「どうするか?」だ。
発達障害かもしれない
右と左が分からないのは、恐らく発達障害ではないだろうか。
私にはもうひとつ障害があった。
説明しにくいんだけど、幼稚園生の時のこと。登園するとカレンダーになってる手帳の登園した日の箇所にシールを貼らなきゃいけない。
先生は「前の黒板を見てください。今日は21日ですから、21日にシールを貼ってください。」 と言う。
これができなかった。
ちなみに幼稚園生のときに1から100まで数えられた。でも、黒板の「21」と手帳の「21」が頭のなかで結びつかない。
結果、隣の井上君に「何処に貼るの?」これを2年間やったw
これもいつの間にか分かるようになっていたのだが、今考えると「発達障害」のひとつだったのだろうと思う。
発達障害の個人的な考え方
発達障害だからといって、心が暗くなる必要はない。そりゃ、多少の苦労はするだろうけど、人生の難しさは、そういうことではないことのほうがほとんどだ。
最近、母に自分のことを告白(そんな大それたことではない。しゃべっただけ)した時に、「初めて知った!」と驚いてたけど、それは他のことができたからだし、そもそも幸せの基準は「何かかができない」ことではなく、「何ができるか」だと思う。
できることを探そう!それも爆発的にできたりするので分かりやすかったりする。
私の知り合いの小児科医は、発達障害という言葉を使わずに「発達凸凹」なんだとおっしゃる。「均一な発達のほうが不自然だと思わない?」そうだね。
何度も右と左を教えてあげてほしい
隣りに座った井上君は、2年間、僕の毎日の質問を嫌がらなかった。今考えると、最高の友だ。
この井上君のように、質問に何度も付き合ってあげてほしい。
そして、できることを一緒に見つけてあげよう。
これが答えね(^^)
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