前々回の投稿の中にナレッジマネージメントについて少しだけ触れました。
僕も昨年、個人のノウハウをタダで持っていかれました。事業計画の作成方法ですが、僕にとっては手痛い打撃です。というのも、外注すればいくらになるのか?例えば、税理士先生に経営改善計画書を作成してもらうと、ざっと50万円から100万円にはなるでしょう。税理士が作成するというところがミソなんですけど、正直な話…士業に対するつまらん権威主義だと思っています。税理士が作成すると銀行の稟議が通りやすいというレベルなのかな…違ったらごめんなさい。僕が作る事業計画において未来予測能力は自分で言うのもなんですが、本当に数字で未来が見えてくるほどのものです。税理士先生が決まった書式の中に定形で落とし込むよりも遥かに予知能力の高いものが出来上がる自信もあります。もちろん計画通りに行かないこともあります。しかし計画通りに行かないことすらも事業計画の中で説明がつきます。未来の説明がつくというのは、まさしく未来が見えているのと同じだと思っています。
ナレッジマネージメントの考え方でいけば、私の暗黙知は付加価値を生み出し大きな収益力を持ちますので、形式知として組織の中でブラッシュアップされたほうが経済的にも商業的にも正であることは間違いありません。
今、僕の中の事業計画作成という暗黙知は僕の中でのみ成長し発展していますが、僕の能力そのものが衰えた時もしくは僕より優秀な人の目に触れなければならなくなるときが来るかもしれない。その観点ならば、個人の暗黙知であっても形式知として残しておく必要性があるように思います。
また、僕がコンサルティングファームにいたのなら、僕しか持たない暗黙知をより積極的に形式知として組織の中に残していくことでしょう。今の時代、知価社会だったり知識資本主義なのです。知識の積み重ねと共有化は現代社会を組織として生き残る重要なファクター。
マニュアルとは成果物だったりサービスの均一化のために必要だと考えられている方が多いのではないでしょうか。誰がやっても同じであることの重要性は理解しています。同一金額をもらっていて、できの良い人とできの悪い人がいては困るからです。しかし、マニュアルの一番いいところは「もっといい方法を編み出すためのベースである」ということだと思います。分かりやすく言いますと、「マニュアルの限界を突破するためにはマニュアルがないと不可能である」ということです。これがナレッジマネージメントの行き着く果だと思います。
ダラダラと書いたのは、均一化のためのマニュアルもなく、明確な判断基準もなく、意思の伝達も行われない組織の成長の未来への危険性を思ったからです。これらが暗黙知であることは暗黙知の所有者がいなくなれば、存在そのものが喪失するだけでなく、発展すべき未来をも薄れてしまう。それが、再び色濃く出てくるのは、最初の暗黙知の所有者と同じ才能の持ち主が現れるのを待つしかありません。
こういうことの重要性は非常に理解されやすいのですが、暗黙知を形式知にする方法が語られるのは、これまた少ない。
理念とそこに行き着くための方法論は車の両輪です。片一方のみではバランスをとるのが難しい。
こういうことも広めていくことも僕の役割なのではないかと思います。
ちなみに僕が作る事業計画ですが、基本的には一般的な作成技法を取っていますが、「目のつけどころがシャープさが違う」と言っておきましょうww
では、また次回!
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