今日初めて聞いた言葉「療育」について、ファーストインプレッションを書いてみよう。
話のきっかけ
お付き合いのある保育園さんがあって、そこの園長先生と話をしていると、「3歳児でできなくちゃいけないことができない子がいて、保健師さんと相談して療育を利用してもらおうと思っているのね」というセンテンスが出てきた。
知らない単語が並んだ
まるで分からない。保健師??療育??それって何??後からググればいいんだろうけど、その場でちょこっとずつ紐解いていった。僕が問い掛けたのは「療育って初めて聞いた言葉なんですけど、それって子どもの発達障害と何か関係する制度なんですか?」
療育
話の入り口が「できなくちゃいけないことができない」だったので、なんとなく不愉快というか僕の顔もムッとしていたと思う。これが「できることをさらに伸ばすために、今の状態を上手に観察する」とかだったらもっとスーッと受け入れられたかもしれないけどさ。
ということで療育なんだけど、発達障害児に対して支援をしていく場所・制度・方法のことみたい。
6歳にして「この子の視力は生涯上がらないから、今からでも盲学校に行かせた方がいい」と言われ、20代まで右と左が分からなかった僕としては、「やっぱり、できないことに目がいく社会なのかな」と思ってしまった。確かに保育園と保健師のやり取りの中で最終的には医師の診断の元に制度が活かされるんだと思うけど、「生涯視力が上がらない」って僕に言ったのは眼科医だからね。メガネはかけてるけどちゃんと見えてますよーと言いたい。いろいろなことができない子だった僕からすると、その子やその子の母親と一緒に僕まで「あなたはできない」と言われているようで、自分でもビックリするほど苦しかった。
結局、発達障害って発達凸凹だって知り合いの小児科医の先生が言ってた。その先生も凸凹で当たり前で、いつかできるようになるかもしれないし、できなくなるものもある。それを統計データを元にして画一的に当て嵌めるのはどうかと思う。ということではダメなん??
と、療育を否定するつもりはない。助かっている人もいるし、働いている人を始めとして、使命感を持っている人もたくさんいると思う。こんな投稿を書いている僕が普通ではないかもしれないとは思っている。
エピローグ
でもさ、入り口がね。「できなくちゃいけないことができない」というところにフォーカスされてるってのが寂しいと思っただけ。
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