7年前の春に父は天国に旅立ちました
その際に父の残したものを整理していまして、そのうち重要なものが2つ。ひとつは神棚のお社を返すこと。もうひとつは、親父の出生からの原戸籍を取得することでした。
佐賀県伊万里市 荒熊稲荷神社
まずは佐賀県伊万里市の荒熊稲荷神社へ行きます。ここでお社を貰い受けたということです。
どういう神社かと言いますと…実はネットで探しましても詳しいものはみつかりません。個人のブログに書かれた記事がいくつか見受けられる程度。なぜ、佐賀県伊万里市の、それも意外と不便な場所にある神社から我が家(福岡県北九州市若松区)みたいな遠い地にお越しいただいたのか?そこからして謎でした。
分かったことを整理すると
元々、荒熊稲荷神社は歴史があまり古くありません。神社の案内によりますと明治37年が起源。初代神職だった方が神がかり的な神事で災厄を祓っていたようです。当日はお社をお返しするとともに、祝詞とお祓いを受けましたが作法からして一般的な神社のもの(二拝二拍手一拝)ではなく、一拝四拍一拝(だったと思います。頭を下げっぱなしだったのですみません)祝詞もお祓いの方法も独特。お祓いの最中も祝詞が続きますし、拝殿に上がった人ひとりずつお祓いをしていただけます。
さて、当時の神職は3代目。ご高齢でしたが、お話を伺うことができました。昭和の初期に、私の祖父祖母家族(もちろん父も一緒)は荒熊稲荷神社のそばに住んでいたことがあります。その時から、祖父と祖母が荒熊稲荷神社に信心をしていたとのこと。父が若松で商売を始めた時に、祖母が大神様像をいただいて、そのまま若松の家の神棚に祭ったのだということでした。初穂料を出したところ、遠方から来たということで、おみやげがランクアップしたり、御札やお守りをたくさんいただいて荒熊稲荷神社は終了。
その後、濃霧の国見道路(伊万里市と佐世保市を渡す道路)を通って佐世保市へ。そこでは20年前に起こった事件の因縁に触れることになるのです。
(続く)
コメント