20年前に起こった事件について記しておきたいと思います。非常に不思議な内容です。
父の実家の墓は佐賀県有田町にある
僕の親父の実家のお墓は、佐賀県有田町にあります。
ゴールデンウィークには有田陶器市で有名なところで、お墓の周囲にもたくさんの窯元があります。
佐賀県では鍋島というお殿様がいらっしゃいまして有名ですが、戦国時代まで遡ると竜造寺家が栄えていました。
竜造寺家から鍋島家に代わる時、竜造寺家の家臣の多くが有田に移り住んで、陶磁器の製作にいそしんだとか。
この話は竜造寺家の家老だった血筋の方から伺った話ですので、ほぼ間違いないと思います。
伯父(父の兄)の納骨
さて、20年前の12月のこと。その年の10月、親父の実家を継いでいた伯父が亡くなりまして、四十九日法要が終わり、お墓に納骨しようという時。拝石を外して納骨スペースを覗いた叔父(父の弟)が言った言葉。
「おい!何もないぞ!」
お墓の拝石の下の納骨スペースには、本来あるはずの祖父と祖母の骨壷がない。それどころか先祖代々あるはずの骨壷の欠片すらない。あるのは陶磁器の欠片はありましたが、陶器の町有田なので山を少し掘れば欠片なんていくらでも出てきます。明らかに安物の陶磁器の欠片。どの断片も復元して骨壷に戻るようなものではありませんでした。お墓には先祖代々の名前が刻まれ、その端には祖父と祖母の名前があります。しかし、墓には何もない…その時、我々はなすすべもなく伯父の骨壷だけを納め、お墓を立ち去ったのでした。
墓の下を掘る
冬を越えて春になった頃。僕はあることを思いつきました。それは、
「墓の下にある地面を掘って骨壷か骨を探してみよう」
他の人が墓を暴けば、先祖様も怒るでしょうけど、それが子孫なら怒りようもないだろうと腹を括っての墓あばきです。
一人で罰が当たるのも嫌なので父と母も誘って再度有田のお墓に行きました。まずは先冬に納骨した伯父の骨壷を取り出しまして、砂地の地面をほるほるほるほる…骨壷らしき欠片ひとつ出てきません。「50年以上たったから土に還ったとやろうか?」お袋は呑気なことを言ってます。いくら掘っても砂と安物の陶磁器の欠片のみ。そのうち、粘土層に突き当たって、それ以上掘るのをやめました。
結局、骨も骨壷も何もなし。この事実だけを受け止めて僕たちは若松に帰ったのです。しかし、なぜ骨がないのか?墓の近所を何件か回って同様な事件があったか訊いてみましたが、思い当たることをおっしゃる方は誰もいませんでした。
繰り返します。
なぜが骨がないの?
僕は、それから10年ほどして(つまり今から10年前)この事件に関して、ある推理・仮設を立ていました。佐世保市役所に原戸籍を取りに行く3年前のことです。それは「伯父が骨をどこかに持ち出しのではないか」というものです。
僕が佐世保市役所で見たものは、その推理を確固たるものに…
(続く)
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