誰得シリーズ3回目…今回も含めてあと3回くらい…気長にお付き合い下さい。
佐世保
伊万里から佐世保への国見道路。
この道を選んだ理由は、この道の突き当りにある三叉路。信号がありまして、そこの地名は瀬戸越。僕の最初の本籍地です。どういうところなのか町並みを見てみたかったのですが、場所は佐世保市のほぼ中心地で感想は…まぁまぁな町。
さて、瀬戸越の信号を左に曲がり佐世保市役所へ向かいます。
佐世保市役所
戸籍係の窓口へ行き、
親父の出生から死亡までの戸籍がほしいことを告げました。
戸籍係が確認したところ、存在することは間違いないので、証明窓口でその旨を伝えてくださいとのこと。
要する時間は約1時間。少しばかりの散歩の後、市役所に戻り受領窓口には僕の持っている受付番号札が表示されています。
受け取りました。
戸籍は全部で4通+1通
+1通について、佐世保市役所は昭和20年6月29日に空襲に遭っています。Wikipediaにも「佐世保大空襲」と出ているぐらいの大きな空襲だったようです。その時に焼失してしまったという証明書。つまり、親父の出生の一番最初の戸籍が失われてしまっていることを意味しています。
残りの4通。
最初のものは昭和15年1月10日から昭和21年2月15日。
次が、昭和21年2月15日から昭和33年7月9日。
さらに、昭和33年7月9日から昭和34年7月8日。
最後が昭和34年7月8日から昭和49年8月6日です。
三番目と最後の戸籍
これは合点がいきます。三番目は戸籍法改正により家が単位だった戸籍から夫婦が単位となる戸籍に変更になった分です。
恐らく昭和23年戸籍法改正によるものでしょう。時間差は、すべての戸籍を書き換えたのですから10年ぐらいかかっても不思議ではありません。
最後の戸籍は父と母のもので北九州に本籍地を移す前のものです。もちろん最後の戸籍には僕の名前も記載されています。
余談ですが、このことは僕に何かあったら、また佐世保市役所にお世話になることが確定したということ。さらに、母が亡くなったら、さらに唐津市役所が追加されるのです。軽くめまいがしました。日本の戸籍制度をなんとかしてください…偉い人w
最初と2番目の戸籍
最初と2番めの戸籍に不思議(だと感じたこと)が記載されています。
祖父についての記載です。
僕の記憶の中に祖父は長男と教えられてきました。父からも祖父本人からもです。長男だから墓守としてお墓を継いでいるものと思っていたのですが、戸籍上の記載は曽祖父の四男と書いてあります…おかしい!
そして、戸籍上の戸主(今の筆頭者とはかなり意味が違います)との続柄が叔父と出ています。つまり甥っ子が戸主であったということです。甥っ子が二代続けて戸主となっています。恐らく曽祖父が戸主だったのは、その前のことでしょう。
それは空襲による焼失という扉に閉ざされました。しかし、素朴な疑問が浮かびました。有田にあるお墓はなぜ長男ではない祖父が守っていたのでしょう?
次回は、ここまでに紹介していない過去の事実(点)を含めて整理し、骨がなくなった事件の推理と事実に矛盾がないことをお伝えしたいと思います。
戸籍を取得する手続きについて誤解を招かないために
さて、改製原戸籍を取るのに、わざわざ該当自治体役所へ出向く必要はありません。郵送でのやり取りが可能です。
今回出向いたのは、佐世保市の前に戸籍があった場合の手がかりを佐世保市役所から得るためでしたが、結果的にここで親父の改製原戸籍は全て揃ったことになります。
(続く)
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