プロローグ
Facebookを眺めていたら、突然「はじまるよ!」という投稿が目に入りました。僕が住んでいる近所で「キャンドルライト」を使ったイベントが行われているようです。事前告知があれば「はじまるよ!」の意味もすぐに理解できたと思いますが、もちろんありません。投稿の中に「何がはじまるのか」も書かれていません。そこで、この投稿者は何を伝えたかったのでしょうか?と思いました。人に来てほしいのか、ただ知らせたかっただけなのか、それとも自己満足なのか。
投稿者はどういう人なのか?
投稿者はテレビにも取り上げられたことがある「街づくり」や「地域活性化」に取り組んでいらっしゃると思われる方です。思われるというのが重要でして、多くの人は知らないんですよ。僕も地元に帰ってきて7年になろうかとしていますが、何をしようとしているのか知りません。多分、ご努力されていると思うのですが、存在が行き渡らなければ、どのように価値判断して良いものやら。そして、それこそうちの近所でコアワーキングスペースみたいなものの運営をされているのではなかろうかと思うのですが、これも「僕が思う」というレベルかつ、行ってみましたけど、中に入りたくなるような作りではありませんでした。「これを企画したの?」という思いが…そして、地方都市の活性化には「これ企画したの?」というものが多いことに気づきました。
ある記事をみつけました
これはまさに私が住んでいる若松のことのように思えます。
最近はドラマロケ地になることも多く、九州限定ではありますが、我が家の近所は「ぶらり旅」的な企画に頻繁に取り上げられています。土日になりますと、観光客らしき人がカメラ片手に街や海岸線を往来し、地元の人間としては非常に嬉しい思いなのですが一方で気持ちは複雑。
なぜかというと、街を見に来てくれる人は増えましたが、泊まってくれる人は少なく、かつ移住してくれる人はさらに少ない。僕の小学校の同級生で近所に住んでいるのは1人です。残りはほぼ全て親とともに他の土地に移り住み、盆や正月に返ってくる同級生はいないのです。
若松という土地は「古くから」のお土産物というものがありません。最近は三日月屋のクロワッサンがありますが、これは本当に最近。近所の天ぷら屋さんも「あんた、近くていいね〜」と言われますけど、その天ぷらはお土産ではなくて日常のおかずを売っているお店です。たまたまお土産として脚光をあびただけのこと。よそからの訪問者がたくさん買い込んでいかれるので、実は地元の人は食べられないという悲劇を生んでいます。宿泊施設も普通のビジネスホテルや木賃宿(木賃宿もすごいですけどね)があるぐらい。少し離れたところに「かんぽの宿」や隣の芦屋町には「国民宿舎」がありまして、北九州地域では数少ないリゾート施設と言えるものですが車がないと不便です。絶景が日本海の美味しいお魚+αのごちそうになりますけど、活性化の核にはなっていません。
そこで考えてみた
最初に取り上げた地域活性化に努力されてる方も、今までの地域活性化策も一つの大事な目線が欠けているのではないだろうか。
それは「日本の社会構造に対する挑戦」です。
どういうことかというと、僕が地元に帰ってこれたのは大企業を辞めたからです。これを日本の社会構造を構成しているもので表現すると「終身雇用を自ら断ち切った」から帰ってこれた。これは間違いありません。しかし、就職口は自分で探さなければなりませんでした。地元に職がなかったため、福岡に返ってきた最初の地は久留米です。それから福岡、筑紫野市。北九州から距離が遠いところばかり、筑紫野市にある職場を来月退職しますが、北九州市で職があるのかどうか、全く当てはありません。正直、不安です。
住むところは実家住まいですが、別に実家でなくても住むところは空き家が驚くほど多くありますので、心配はいらないでしょう。生活インフラの中で交通網はやや不便さや理不尽さを感じますが、暮らしていけないことはない。日本の社会構造で北九州市に住むことを阻害しているものは圧倒的に「仕事」なのです。
まず、暮らしていくインフラの中で圧倒的に地方に整備されなければならないのは食べていく手段でしょう。私の母の実家のは佐賀県唐津市の山の上ですけど、地元の会社は土木会社が1社あるのみです。そこで住んで暮らしていくには、車での通勤と農業のノウハウが必要です。
ここで農村部の日本の社会構造をひとつ紹介しましょう。「農協」です。これがなかなかすごい制度でして、今は変わっているかもしれませんが、農協に加盟するには農協が取り扱う農産物を3年間出荷する実績が必要です。不思議に思いませんか??農協に加盟していなのに、どうやって農協が取り扱う農産物を3年間出荷できるのでしょうか?頭のいい新規参入者は農協の取り扱わない農作物を自主ルートで出荷しています。こういう仕組みを変えていかなければならない日本の社会構造がたくさんあるのです。しかし、その一方で政府は地方創生と声を上げる(最近はそのトーンも下がり気味ですけど)。地方に住んでいる人間は、こういったことに挑戦していかないといけません。新しい人達だけ挑戦させるわけにはいかないのです。
どう挑戦しようかと考えると
例えば、県庁所在地、政令指定都市、中核都市を中心としたインフラ構造の再構築です。大都会の大企業出身者が特別な才能なく安心して暮らせる社会インフラ。その中にはもちろん「職」も含まれます。
それから、僕は終身雇用制度を前提とした社会構造が大嫌いですけど、実は全ての労働法がこれを前提に作らています。「非正規雇用があるじゃん!」という方もいらっしゃると思いますが、これも「終身雇用を前提とした正規雇用ではない」という意味です。これも壊さないと地方活性化の道はないと思います。辞めやすく就職しやすい社会の到来。そこで、考えるのは全労働者が請負契約で進めていくなんてどうでしょう。ボリュームが大きいと必然的にそれに携わる人が増えてきて、活性化していくと思うのです。テレビ局の番組制作なんて、そんな感じですよね。その請負契約に法律的な規制をかけていけばよいのではないかと思います。例えば、最低請負金額を規制しておくとかね。極端な例ですけど。
固定観念への挑戦
僕は「修羅の国に住んでいます。」福岡県北九州市のことです。
これを、どのくらいの人が受け入れられるでしょう。
実は修羅の国でもなんでもありません。武装して暮らしているわけでもありませんし、あちこちで喧嘩が起こっているわけでもありません。ごく普通に安全に暮らしています。
つまり、「修羅の国=福岡県北九州市」は地域に対する差別的意識の表れ以外の何物でもありません。人への差別的意識が悪くて、地域に対する差別的意識が良いのでしょうか?その発端が同和問題の一つの側面(全てではありません。1つの側面です)です。
でも仕方ないでしょう。僕らはそういう地域的差別意識に対して挑戦していかなければならないと思うのです。それは地元に住んでいる人たちの暮らし易さの確保と、新しく移り住む人への希望になるからです。冒頭のソフトクリームの写真が「青空の下でソフトクリームを安心して食べられるのは修羅の国ではない証」ということなのです。まさに固定観念への挑戦です。
そこでプローグに戻りますが
地域活性化の鍵は観光依存型では限界があると思います。それは過去の自然災害でも明らかになったことです。上手くいっているものもありますが、ひとつ重要なポイントは「上手くいっているイベントは地元の人が楽しんでいる」ことです。長崎のランタンフェスティバル、福岡県久留米市の城島酒蔵開きというのは良い例。地域活性化は地元に住む人に対して何を提供できるのかにかかっている。そんな中での「はじまるよ!」なのです。住んでいる人へ「何が」「どこで」「いつから、いつまで」「どのような狙いで」という情報発信をするべきです。それもできる限りのメディアを使うべき。地元に人が地元に人に対して情報発信しなくて外にばかり発信していても、本当の意味でワイワイ楽しいご近所付き合いはやってこないと思います。
エピローグ
https://www.nhk.or.jp/fukuoka/drama/dream/www.nhk.or.jp
私が住んでいる若松も舞台になっています。シーナ&ロケッツの鮎川誠とシーナが愛した街:若松です。
5月6日午後0時45分からNHK BSプレミアムで放送されます。お時間の許す方はゆっくりとご覧ください。ロックが好きな方で時間のない方は録画してご覧ください。誰かが愛した街が修羅の国であるはずがない(^^♪
では、また次回!
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