様式には人それぞれの基準が多様にあるものです。美しさというのは基準の多様性を表す最たるものだと思います。先日、書について取り上げたテレビ番組を見ていました。僕には辛うじて字が読めるという書体だったのですが、書について高いレベルをもった審査員の皆さんは「美しい」という評価で一致するのです。「えーー」っと思うとともに、その域に達することはなかなか難しいものだと悟った次第でした。
「基準」の悩ましさを感じたこととして、とあるミニマリストの方の生活を垣間見ることがありました。
その前に「ミニマリスト」の定義をしておかないといけませんね。ググりました、「物をできるだけ減らし必要最小限で暮らす人」と書いてあります。よろしいでしょうか。
かのミニマリストの方、持ち物を減らして生活していかれているわけですけど、とにかくパソコンを買い換える。その理由は「必要最小限で暮らすのでパソコンの保有台数は1台。しかしながら、求めるパソコンのスペックが時間の経過とともに高まっていくので、それに応じて買い替えていく必要があるから」ということです。3年に1台とかじゃないですよ。2年に4台とかいうペースです。
ミニマリストとしての生活をするためにパソコンを買い替えて出費が大きくなっていくことが、果たしてミニマリストとしての生活と言ってよいのか?と思いました。しかし、その方の基準では「私はミニマリスト」なのです。
デザインについても「基準」は難しい。私のデザイン指向は「シンプル」に尽きます。このブログのデザインも全く凝ったものがありませんが、こういうデザインの方向性を好みます。
この前フリのままブログデザインの話ですけど、階層が深かったりブログの記事にたどり着くのに視覚的に長い導線があったりするのが苦手です。どこにリンクがあるのか分かりにくいし、時系列で流れていないことが多く(過去記事を推奨したりしてある)、コンテクストが見失われがちになります。しかし、世間的には「オシャレなブログ」と思われているようで、自分の基準とのギャップが悩ましい。「あんな風にするとPV伸びるのかな〜」と思うこともあります。でも、しないほうが自分らしいと思っています。
問題は、この様式の「基準」を人に押し付けることがあるかないかですよね。それだけは避けなければなりません。
これは組織の中でも同様に、「基準」の差を感じることがあります。同じ方向を向かなければならないときに感じる差です。これを避けるために、戦略と理念を共有することがとても大切です。「戦略と理念を共有できない人は採用の時に言ってね!」ということで採用面接の大切な話のひとつ。これをやっておかないと、基準がバラバラになってひっちゃかめっちゃかな会社になってしまいます。採用面接とは、この「基準を揃える」という大事な儀式でもあるわけです、
ということで、話が仕事方向に向いてしまいましたけど、僕も「美しさ」を感じる目を肥えさせたい常に思っていながら到達するまではまだ遠く、悩んでいるところなんです。自分に自信があると、こんな風に悩まなくていいのかな。まだまだ人間ができていないようです。
では、また次回!
コメント
コメント一覧 (2件)
こんばんわ、初めてこのブログを訪れました、炭酸水ケンタと言います。
とても、面白いコンテンツです。
コメントありがとうございます。私も読者登録させていただきました。これからもよろしくお願いします。