小泉今日子さんの生き方に思う

小泉今日子さんの不倫の告白、みなさんどのように思われました?
「人の色恋沙汰なんて放っておこう!」が基本姿勢。不倫だけ取ってみると、僕は他の人のものを奪う行為としてやってはいけないものだと考えています。もし手を出したとしても、誰かを傷つけないうちにそっと手を引くべき。お相手である豊原さんの奥さんの心境を考えると、圧倒的に小泉今日子世代である僕でも厳しい目線で見てしまいます。小泉今日子さんだから許されるということではありません。豊原家では3年前から別居中で離婚の話し合いが続いているという話でが、奥さんが離婚したくないと考えている以上、それが免罪符にはならないように思います。また、小泉今日子さんもそうは思ってないでしょう。


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ここからです


週刊誌なんてほとんど見ませんが、小泉今日子世代だけに見てしまった中の一文に目が止まりました。
それは、

「姉が他界した50代を迎えるにあたって小泉は『この仕事は本当にやりたいものなのか?』『もっと自分の幸せを大事にするべきではないのか?』など、懊悩(おうのう)の日々を送ったことだろう」

とあります。懊悩とは「悩み悶える」ことです。これは小泉今日子さんの言葉ではなく記者の言葉だと思います。それまでの小泉今日子さんの言葉から想像して思い浮かんだ言葉でしょう。
それも踏まえた上で共感しました。僕も身近な人を失った時に最初に考えるのが「僕がいて幸せだったのだろうか?」です。自分の行動を省みて後悔することもしばしば。次に頭に浮かぶのは「自分が幸せに生きるって何だろう。」 だからといって、自分の幸せに犠牲者が出ていいとは思いませんが。

僕がいいたいことにフォーカスします。


「自分が幸せに生きるって何だろう」


きっかけはあらゆるところにあり、しかも何回も訪れます。小泉今日子さんの告白が僕にとって何度めかの「きっかけ」になったのでした。この回答を求めながら生きていくんでしょうね。

では、また次回!

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この記事を書いた人

チームワークを得意とする介護業界に勤めるサラリーマン。Macで仕事をしていますが、それだけでモチベーションが上がります。時々、山に登ります。コタローという名の保護猫を飼っています。ゆったりマイペースで参りますので、よろしくお願いします。

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