2度目の離婚から25年を経過してた
26歳で最初の結婚。30歳で最初の離婚。32歳で2度目の結婚32歳で2度目の離婚(ここは超短い)。
それから25年の年月が経過して3度目の結婚をしてみました。普通の人なら銀婚式だぞwwと、自分で突っ込みながら独身銀婚式を終えての結婚。どんな気分か書いてみようと思います。
奥さんとの出会い
今の奥さんとの出会いは12年前。私が勤めていた老人ホームに一般職員として入社してきました。私が面接採用したわけですが、当たり前ですけど「いやらしい下心」はありません。介護福祉士の資格を持っていたし、福祉の仕事に慣れていたし、志もきちんと持っていて「ちゃんと仕事に取り組んでくれるだろう」と思って採用しました。その後、奥さんはいろいろあって会社を退職し、私もがん鬱が原因で仕事ができなくなって退職し、それから8年ほどの時間が経過しました。
再会
お互いに別の会社、新たな別の人生を歩むようになっていたものが、なぜ交わることになったのか。連絡は取り合っていましたが、それはFacebookのMessengerでごくたまに「元気?」ぐらいのやり取りをするぐらい。特に意識するものもなく「元気なら良かったね」ぐらいのことでした。
あるとき奥さんから「口内炎が治らない」というようなメッセージが届きました。ちょうど堀ちえみの舌がんが見つかったタイミングだったこともあり、「それは口腔外科に行ったほうがいいよ」といったところ、本当に舌がんでした。私としては悪い予感があたってしまったのですが、それでも早く見つかったことはラッキーだったと思います。花を抱えて手術後入院している病院にお見舞いに行きましたが、それも「友人のお見舞い」程度のこと。私もそれまで何度か入院手術をしていて花を送ってもらっていましたので、もらいっぱなしも良くないだろうし、お花をもらうぐらいだから悪い印象持ってないだろうから、お礼と励ましの意味もあってのお見舞いです。
またそれから少しばかりの日が過ぎ、新たな展開がありました。奥さんにステージ3の食道がんがみつかったのです。このとき奥さんから泣きながら電話があり「死ぬかもしれない」という声が漏れてきました。食道がんの基礎知識なんて普通の人は持ち合わせていません。調べてみると「相当悪そう…」相当悪そうなのです。まず抗がん剤治療を行い、それから手術を行うと言ってました。手術の予想時間は12時間。すごく長時間の手術です。ステージ3ですから他部位への転移があります。肝臓、リンパ節。「ひどそうだな。長生きできるのか」が最初の印象。しかし泣きながら電話してきているのに励ましもできないのは情けない。無力さを実感するとかじゃなくて、自分のことを「情けない」と思いました。抗がん剤で髪の毛が抜けるのも耐えられないというので、「女性の髪の毛は大切なものだけど、命のほうがもっと大切。君一人だけ坊主にはさせない。付き合うよ」と言って、私は髪を剃りました。奥さんはそれを見て「最初から剃ってればよかったのに。似合ってるよ」とか言ってましたけど、取り急ぎ「1笑い」ゲットしました。
進展
食道がんの手術を終えてきちんと付き合うような雰囲気になったのですが、付き合うというよりはどんどんやせ細っていく奥さんを励ましながら伴走しているような気持ちです。とにかくご利益の有りそうな神社仏閣、パワースポットへ連れ回しました。食道がんって食道を切ってしまうので喉のすぐ下が意になってしまいます。人間の臓器で無駄なものはありません。もしあるとすると胆嚢でしょう。私は胆嚢ないですけど、普通に暮らせています。それは置いておいて。一度にたくさんの食事が取れないうえに、すぐに吐いてしまいます。兎にも角にも奥さんが好きそうで栄養のあるものを金に糸目をつけずに食べに行きました。奥さんが食べられない分は私が食べるというお店に配慮しながらの食べ歩きです。当時は苦しかった。今は、私の糖尿病の状態が良くないので食欲を抑える薬を飲んでいる関係上、奥さんの食べ残したものを食べるというのはやめています。
結婚への道程
お互いに歳を取った母親を抱えていました。特に私の母は90歳に近付いており老人ホー暮らし。それが心の何処かに刺さっていまして、付き合っている当時は100%奥さんの方を向いていたわけではありません。90%奥さん10%は母親という感じでしょうか。できれば100%奥さんという気持ちになりたい。そうだ‥母親が天国に行ったら結婚しよう!と心に決めたのです。
そう決めると、実はあっという間に母親が天国に逝きました。本当に決めてあっという間です。家族に合わせなくてはいけないと思い、奥さんを合わせようとセッティングした日を3日後に控えた早朝に母は天国に旅立ったのです。
まさかのお通夜が家族親戚とのファーストコンタクト。「まさか」でしょ。でも人生なんてそんなものなのです。「100%奥さんのことを思いさない」と母親が私に気を使ったんでしょうね。「お母さん!ありがとう!」
そして入籍へ
母が天国に旅立ったのが5月14日。お通夜が5月15日で、そこで家族・親族と顔合わせ。表現は悪いですけど一石二鳥。「お母さん、縁を繋いでくれてありがとう」。その後9月9日に入籍したのでした。私は57歳、奥さんは54歳での入籍です。9月9日は重陽の節句。おまけに昭和換算だと昭和99年。つまり9が4つも並ぶ最高に縁起の良い昭和99年9月9日に入籍したのでした。
近況
まだ奥さんのお母さんが生きていまして、要介護4という状態から奥さんはお義母さんと同居しており私は単身赴任中です。お休みのタイミングで奥さんのもとに通っています。多少不便ではありますが、会えば仲良く過ごしています。昨年の11月に奥さんの喉に極々小さながんが発見されましたので入院手術等はありましたが、心は幸せに満たされて生きております。我が身を取り巻く全てのもの…それは運命も含めた全てのものにに感謝しながら幸せを感じる毎日です。
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