私は証券会社で社会人のスタートを切った。31歳になって転職し、それからはほぼ経理事務一辺倒である。
大まかには経理は記帳とその結果の表出。財務とは資金管理と将来の予測だと思っている。
記帳と資金管理は牽制機能が備わってなければならない。それはお金が会社の生命線だからである。資金という生命線かつ最大の権力が社長以外のひとりに集中をさせないようにするのは、会社経営の「いろはのい」とも言える。だいたい、資金での不正行為はこの「いろはのい」を守っていなかったか、記帳と資金管理が結託していたかのどちらかだ。
今の私はその「いろはのい」が守られていない立場にある
私は記帳と資金管理の両方を任されている。社長(それは当然私以外の人だ)にとっては危険な状態。この危険な状態を社長に意識してもらうために、2つのことを実行している。社長に「私のことを信用するな」と言い続けていることと、通帳のコピーを渡していることだ。だからといって、記帳と資金管理の責任が軽くなるわけでもなく、必死に仕事をしていた。
「仕事をしていた」という過去形
ひとりの人間が両方をやる場合に、必然的に優先順位がつく。私の場合…というよりも多くの場合は資金繰りだ。ここでモチベーションが下がる事件が起こった。
税理士登場
税理士が登場するわけだが、会社の顧問税理士ではない。社長一族の顧問税理士だ。当然だが、私はその税理士からとやかく言われる筋合いはない。
ところが、会社の資金繰りのやり方に難癖を付けてきた。「こんな最悪の資金繰りをして、だめなやつだ」と言われたのだ。
まぁ、普通は怒るよね
今年になって50歳になったわけだが、社会人になってからどうも短気になってる自分を自覚する。恐らく、勉強していた頃には気付いていなかったこととして、勉強よりも仕事の方が真剣なんだと思う。真剣故に衝突も起こすし、怒りの沸点に到達する時間も短い。5分ぐらいは我慢していたが、我慢できずに退席した。
最悪な資金繰りと言われたけど
その税理士が言った最悪の資金繰りで、会社は設立から倒れることもなく、存続してきたのであり、社長一族の財産も守られてきたのである。私の最悪な資金繰りで、従業員は生活を成り立たせることができ、入居者は安心して住み続けることができ、行政もしくは社会に対しては納税という形で貢献して来た自負もある。
その資金繰りは命がけだった
今の会社に入って、病気がち…入社の翌年には胆石症を起こし、昨年はガンに罹ってしまった。長時間通勤と休みのない生活に体調を維持しきれていないのは自分でも自覚している。そうやってまでの資金繰りだ。一度は手術後の病院のベッドで資金の出し入れをしていた。本当に寿命を削りながらの資金繰りだったと思う。
本当に最悪なのか???
客観的なことを言おう。「最悪だ」「会社を存続させる資金繰りって最悪なの??」と思うだろうが、これは「誰が金策をするのか」で最善か最悪なのかが決まると言って良い。社長以外が金策をしてしまったわけだが、これが「最悪」なのだ。そんなことは分かっている。昔、資金繰りの先生から教わったことがある。
資金繰りの先生の言葉
「資金繰りに男気を出すな」
腕の立つ財務担当者というのは、鳥取砂丘の砂の数ほどいるわけではない。そこそこ回すやつはたくさんいるが、基本的に気の利いた財務担当者は希少だ。その希少な財務担当者が男気を出して資金繰りをやってしまうと、結果的に経営者の腕が落ちる。大きくなるまで親に甘やかされ、大きくなってからは財務担当者に甘やかされるわけだ。
ということで
資金繰りを社長に任せることにした。当事者意識と責任感というのは私にとって最大の長所だと思っているのだが、それを資金繰りではなく社長の教育に回そうと思う。
ちょっと楽になると思う。
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