方言とはやっかいなものだ。北九州で生まれ育った僕が、初めて大阪に行ったときのこと。スーパーで1,000円札を100円玉10個にしてもらおうとして、僕の口から出た言葉は「こまめてください!」。
自信たっぷりにそう言った。大阪のレジのお姉ちゃんには通じなかったw。「こまめる」って九州弁だったのねwww
今では大人になったので「崩してください」と言えるようになった。成長するのが人間である。今日はそんな話。
小学校の同窓会での話
昨年の8月に小学校の同窓会があった。今考えると小学校から中学校にエスカレーター式に上がるので中学校の同窓会でも良かったのだが、中学はいろんな小学校から集まってくるので、その中の同じ小学校の卒業生だけが集まった格好だ。僕は高校で人気のない、ちょっと離れたところに進学したので、大半は中学卒業以来の再会。37年ぶりとか。ちょっと驚いたことに、みんな面影がちゃんと残っていて、一気にタイムスリップした気分になった。当時の不良も真面目なやつ(僕のことw)も、非常に楽しい時間を過ごせたのだ。
ちょっと話はそれるが、僕らが過ごした小中学校時代に「悪いやつ」はいたけど「いじめっ子」はいなかった。全くそういうことがなかったわけではないが、そういうときには誰から諭されたわけでもなく「いじめたやつ」は「相手」に詫びを入れいてた。そして、二度といじめることはなかった。同窓会で「なぜそうなったのか?」ということをみんなで考えはじめて、最後には「僕らには『順ちゃん』がいたからだ」という結論が出た。
順ちゃんは僕らの同級生の男の子。残念ながら同窓会にはいなかったけど、間違いなく僕らの深い絆の中心にいたやつだ。
順ちゃんは…知能と身体に(決して軽くはない)障がいを持っていたのだ。
そんな僕らの行動や考え方の基準は「順ちゃん」を仲間外れにしないことだった。順ちゃんができる遊びをして、順ちゃんが理解できる話をして、順ちゃんと一緒に笑えるのが楽しいと思えるようにその場を作っていた。
順ちゃんは何をやっても人よりも上手にできない。でも、僕らにはそんなことはどうでも良かった。順ちゃんは誰よりも優しいやつだったからだ。優しさでは僕らのトップ!だから、僕らは順ちゃんを大切にしていた。誰かからそういうふうに仕向けられたわけではない。諭されたわけでもない。自然とそうなっていた。僕は人間は性善説で良いと思う。自然とそうなるようにできていると思う。
話をもとに戻そう
同窓会の場に来れなかった同級生の話になるたびに、「女子たち」が「あの人、なんしよん?!」ということを口にする。全部の言葉にフォルティシモがつく。北九州の言葉が荒っぽいと言われるひとつの理由、オールフォルティシモで「なんしよん?」である。
「なんしよん?」を標準語に訳すと「何してるの?」ではなく、「長く見ないね。元気にしてるのかな?会いたいよね」という意味になる。道端で久々に友人と出会ったときも「おお!久しぶり!!!元気やった!!!懐かしいね!!!全然変わってないね!!!」を一言で表すと「なんしよん?」である。
ここで「買い物に行くところ」とか「これから会社」とか「帰宅途中」とか言ってはいけない。「おぉ!俺は元気元気!お前、なんしよん?」と返すべきなのだ。本当に愛情あふれる言葉なんだよw
だいじょばない
以前、福岡の会社に努めていた頃、部下だった女性に「あの件、大丈夫?」と確認してみたときのこと、返ってきた言葉が「だいじょびません」だった。僕も生まれ育ちは北九州。彼女の生まれも育ちも北九州。別に失礼でもなんでもない。「だいじょびません」で全てが通じる。
上司と部下の関係で「だいじょばない」は「あの件は、うまく進んでいません。いくつか障害があって、それは部長に助けていただかないといけないかもしれないです」の意味。ここまで察するのが地元ってこと。故郷は遠くにあって思うのもステキだが、近くで触れ合うのもなかなかステキなことだと思う。
エピローグ
全然「成長するのが人間である」という話になっていなくて、北九州弁のことになってしまった。ということで、「なんしよん?」と「だいじょばない」を大切にしていきたいと思う。なぜなら、40年ぶりに北九州に帰ってきた兄は「なんしよん?」の意味が分かってなかったからだ。
「お兄ちゃん、なんしよったん??」(これはそのままの意味)
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