僕はレジ袋を畳む人だ。今日はちょっとしたセンチメンタル(?)な想い出話。
母の教え
というより、母が畳んでいたのを見て自分でも畳むようになった。「畳みなさい」と教えられたわけでも命令されたわけでもない。「母の背中を見て学んだ」ということにしておこう。母親がなぜ畳むのか尋ねたことがあるが、「グシャグシャにしていると捨ててしまいがちだし、再利用するにも気が引ける。こうやって畳んでおくと、気持ちよく再利用できるから」ということだった。
昔付き合っていた人が
僕がレジ袋を畳んでいる姿を見てボソッと言ったひとこと
「私、あなたと長く付き合えないかもしれない。私、そんなに几帳面じゃないから…」確かに彼女はレジ袋をシュッシュッと伸ばしてくクルクルと括るだけの女性。でも、気になったことは一度もなかった。
僕は「大丈夫!君にやってほしいってわけじゃないんだ。レジ袋を括るだけの君を見ても怒ったりしないよ。僕はただ畳みたくなるだけなのさ。」
実際に僕は几帳面じゃない。ゴミをゴミの日に出すけど、当日の朝ゴミをゴソゴソとかき集めるぐらい。どちらかというと、散らかっていても気にならないタイプ。つまり僕はただ畳みたいだけの人。
その付き合っていた人とは
結局、僕は畳み続け、彼女が死ぬまで11年間僕らの関係は続いた。そして今でも畳んでいる。ということを考えると、「レジ袋を畳むとか、畳まないとか」は人間関係のおいては「何、この人!?」と思う瞬間はあったとしても、崩壊するほどのことはない些細なことなのだろう。
エピローグ
ついにコンビニエンスストアのレジ袋も有料化されてしまうので、これから先は畳むこともなくなってしまうのかもしれない。もちろん、レジ袋代を払えばいいんだけどさ。それもトレンドじゃないから、そろそろ「レジ袋を畳む」作業も終わりに近づいてきたんだろうな。
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