自分と向き合うとは自分の力を知るってことと自己肯定

「自分と向き合う」って何?的なことを考えてみよう。という投稿内容。

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自分のことは自分が一番わかってない

というのが僕の持論。人のことはよく分かるけど、自分のこととなると全然わからない。例えば、自分の長所と短所、なぜお金に強くなったのか?、全然わからない。なぜ数学が苦手なのかも全然わからない。文章を打つのが嫌でない理由もわからない。人から好かれる理由もわかってない。

ふたつあるうちの1個め

僕が言う「自分と向き合う」とは2つ捉えていて、ひとつは「自分の力を知る」ということ。できることとできないことをきちんと理解すること。そしてできることは伸ばすけど、できないことは無理しない。「え?できないことをできるように努力しないといけないんじゃない?」と思う人もいるだろう。それは正しそうだけど、できないことをできるようになるってのは大変なことなんだ。なので僕はどうしているかと言うと、できないなら違うやり方をする。ということ。忘れっぽい人は頑張っても忘れっぽい。頑張って記憶するというてもあるだろうけど、僕だったら手帳にメモる。早く走れるように努力するのは美しいことだけど、僕にはできないから早く出発する。僕はノートパソコンを使っていて、特にMacは10キーが付いてない。10キーなしで数字を早く打てるように練習するよりも、外付け10キーを買う。という感じ。僕は見た目カッコいいわけではない。かっこよくなりたいとも思うけど、そこに力を注ぐよりも、清潔にするとか、太らないように節制する。できないことを頑張るって、自分の中で何かが変わらないとできないけど、人間ってそんなに何かが簡単に変わるわけじゃない。できないことを諦めて、できることを伸ばすというのはそういうことだと思う。例えば、僕は報告をキチンとする人だけど、昔は「お前の報告は何を言ってるかわからん。頭の中を整理してこい」と怒られたものだ。で、僕はどうしたかというと、報告する事項を紙に書いて、それを読みながら報告していた。もしかしたら、人はそれを「工夫」と言ってるのかもしれない。ひとつめはそういうこと。

2個め

ふたつめは「自己肯定」。自分のことを好きでいること。嫌な自分をイメージしないのも大事だと思う。自分と向き合った時に自分のことを嫌いにならないってこと。昨今の自己愛ブームの前から僕は自己愛主義者だ。自分の人生で反省することは多いけど、もう一度やり直しても同じ過ちを繰り返すと思う。それは、その過ちをやった瞬間はベストな選択をしたと思っているから。例えば離婚だよね。離婚は失敗ばかり。でも生まれ変わったら、また同じタイプの人を好きになると思う。だって、人はそんなに簡単に変われないから、好きな人のタイプが変わるとも思えない。そして、他人から指摘されたことを反省はするけど気にしないとか。反省はするけど気にしないというのを解説しておくけど、これも上で書いたことを応用している。反省しても人間変わらないので、同じ間違いを繰り返さないように「工夫」する。工夫したんだから気にしないってことね。ま、女性のタイプで言うとふっくらした人が好きなんだけど、これを指摘してくる人はいないと思うけどさ。

エピローグ:諦めるんだ!

僕が考える「自分と向き合う」ってそういうこと。形而上学的とか哲学的に考えたりはしない。自分のことは自分が一番わかってないんだから。それよりも、諦めることだよ。これは目を背けるとか、努力を続けないとか。そういうネガティブな意味ではなくて、仏教の教で言うところの「諦観」ということ。諦観とは「自分の本質を明らかにすること(高校の先生が教えてくれた)」これが「諦める」ということ。

ということで、また説教臭い話になったけど参考にしてちょーだい。

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この記事を書いた人

チームワークを得意とする介護業界に勤めるサラリーマン。Macで仕事をしていますが、それだけでモチベーションが上がります。時々、山に登ります。コタローという名の保護猫を飼っています。ゆったりマイペースで参りますので、よろしくお願いします。

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