さて、シリーズの5回目です。
前回の事実の羅列(点)を推理でつないでみます。
祖父
祖父はとても見栄っ張りな人だった。「大きなことをやってきた」と第二次世界大戦中の中国での話や、神がかり的な事があったという話もする人だ。そんな祖父は曽祖父の四男として生まれたが、見栄っ張りな性格によって戸主権への執着は強まるばかりで、家督(家長)への思いは並々ならぬものであった。そのため、戸主が代わっても同戸籍へ残ること(戸籍に残ることが家長になることの条件だと考えていた)に固執したのだった。
ところが昭和23年戸籍法の改正が行われた。それまでの「家」を単位とする戸籍制度から「夫婦」を単位とする戸籍制度に変わり、祖父と祖母は本家とは別戸籍とされてしまった。法制度上、家督相続もしくは家長となれなくなったことを知った祖父は、家(家長または家督)への執着を別な方向に持っていかざるを得なかった。
墓
それが墓である。墓は家の象徴であり、墓守は家長が負わなければならない義務であった。その義務を創りだすことで、家長という地位を想像(もしくは創造)しようと思い立ったのだ。
元来、佐世保の生家の墓は本家の家長が墓守をしているので、そこを自分が墓守をするのには無理がある。子どもたち(おじ、父)と墓参りで本家筋と鉢合わせになれば、隠してきた出生の秘密(四男で家督相続権がないこと)を子どもたちが知ってしまう。なんとしてでも墓を作らねば。子どもたちに家長としての威厳を示すことができない。そこで、祖父は親類でも一番人のよい伯父(僕も会ったことがある)を頼った。場所は佐賀県有田町。古川家の主君であった竜造寺家との縁も深い。祖父は伯父を訪ね、こう切り出した。
「墓所を一部譲ってほしい。」
人のよい伯父は一瞬考えたが、特に損をするわけでもなく快諾したのだ。
条件は金銭ともうひとつ
「伯父の先祖代々の古い墓石を、譲り受けた場所においてもらって、オジの墓はスッキリしてもらって構わない」
墓を手に入れた祖父が次に考えたのが、本家の墓がある以上、有田の墓に権威を持たせなければならない。どうやって?
そこで祖父は有田の墓の由縁を創作したのだ。「有田に本当の墓があると神さんのお告げがあったので、行ってみたところ本当にあった。古い墓石を整理して、新しく立派な墓石を建てる。」先祖代々の名前を佐世保の墓を書き写し、真新しい墓石に彫らせた。後は子どもたちを連れて、「ここが本物の先祖代々の墓である」と教え込めば良い
時は移り、墓の存在は祖父の一族の中で完全に受け入れられた。しかし、まだ祖父には家長に対する強い執着が残っていたのだ。家長としての最後の望みとは。
本家の墓に入ること
そのための準備をしなければならない。しかし祖母が亡くなり、当てにできる者は少ない。他人には絶対にできない頼み事である。祖父はひとつの決断を下した。自分の長男(伯父)にすべてを託すことにしたのだ。
祖父は伯父を前にして話を切り出した。
「お前に遺言する。ただし書くことはできん。よく聞いておくように。佐世保に本家の墓がある。わしが死んで後、骨は一旦有田の墓に納骨しろ。納骨してしばらく後、誰にも悟られないように佐世保にある本家の墓にわしとばあさんの骨を入れろ。有田の墓は空じゃ。ただ、お前と嫁と息子たちが入れば良い。いいな、しっかりと頼んだぞ。」
こうして、20年前の冬に僕らが有田の墓を開けて見たものは、祖父の遺言を確実に実行した伯父の仕事の後だったのである。
僕の気持ち
お墓に骨がないことに気付いた時、一番に疑われたのは僕の父でした。父はウソを付くのが下手な人で、伯父の骨を納骨したときの驚き方は本当に知らなかったのだと思います。父の弟は、もともとお墓参りをするような人ではありませんでしたので、骨をどこかに持っていくことはしないでしょう。すると残りは伯父だけなんです。他に考えられない。
そんな僕の気持ちですが、祖父の気持ちもわからなくもないです。権力だの権勢だのに気持ちが向く人がいる以上、祖父がそういう人だったとしても不思議ではありません。というよりもそういう人だったと思います。ただ、そんなことをしなくても祖父のことは大好きだったと思うのです。骨がなくなった真相はわかりませんが、事実の点と点をつなぎ合わせてみると、こんな絵が書けてしまったというお話でした。
整理してみると、まぁまぁショックな内容ですねw
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