人の成長を表現する言葉として「一皮むける」ってありますよね。今日はそんなところからのお話です。
同僚を見てて感じたこと
僕は会社全体の経営に関して責任を負っていますが、直接の部下はいません。なので、全ての人が僕にとっての同僚となります。そんな同僚の中の一人が成長中でして「一皮むけたな」と感じる場面がありました。ただし「チョット待って!」ということで「一皮むけるって何?」。
辞書で調べると
「試練や困難を乗り越えて、より洗練された様子、あるいはより逞しくなった様子などを指す言葉」 (出典:実用日本語表現辞典)
これによると、「乗り越える」ことで、洗練されるか、逞しくならないといけないのでしょう。
同僚の彼の場合
彼の場合、洗練されたり逞しくなったのですが、そこで彼が乗り越えたもの=一番の試練や困難=「自分の先入観や固定観念」だったと思います。経験値の少ない人の先入観や固定観念は成功イメージを作り出すことができないので、マイナスに働くことが多いもの。それを誰かの説得や、誰かの導きで乗り越えてきたのですが、それは「自分で」乗り越えたことになりません。というよりも、誰かの説得や誰かの導きで乗り越えた場合、自分の先入観や固定観念を抱いたままです。次も「誰かに説得されたり、誰かの導き」がなければ乗り越えられないでしょう。これでは「一皮剥けた」どころか「なんの成長もしていない」ということです。
自分の意思で行動するところからしか「一皮むけない」
乗り越えるのに自分の意思で「壁に立ち向かう」「山に登り始める」ということです。自分の意思で行動するということでも良いでしょう。別な見方をすると、甘えん坊さんは一皮むけないし、過保護も一皮むけない。つまり「一皮むける」には本人だけの問題でなく、周囲の問題でもあるといえるでしょう。
思い切って行動してみよう!思い切って突き放してみよう!
大きな成長とは、こういうことです。自分の先入観、固定観念、閉じこもった環境、守られた環境では大きな成長はありません。取っ払わないといけないのですが、もしかしたらその瞬間だけ「ビビってんじゃね〜よ!」という厳しい言葉が飛ぶかもしれませんよね。厳しい言葉はスルーして、言葉の真意と自分の成長にフォーカスしてみましょう。その先に「一皮むけた自分」が待っているのです。
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