タイトルを見ただけで別のサイトへ飛んでいかれてしまうパターンをあえて踏ませていただきます。
なぜソースなのか?
理由は単純です。初めて目玉焼きを食べたときからソースだからです。というよりも、我が家は目玉焼きをソースで食べる家庭なのです。ソースが習慣化されてしまい、今更醤油で食べても美味しく感じません。
でも卵かけご飯は醤油です
これは目玉焼きを醤油で食べるクラスタから指摘されることです。「卵かけご飯をソースでは食わんやろ」えぇ、食べませんよ。でも、目玉焼きと卵かけご飯は別の料理です。全然関係ないことを挙げると、焼き飯は卵料理だと思っていますw
しかし、これはなぜでしょう。
味覚は成長するものと、原体験で受け付けられないものがあるのです
皆さんにも似たような経験があると思います。味覚の成長とは、子どものときには食べられなかったけど、おとなになってから美味しく感じられるようになったもののことです。僕の場合ですと、
- チーズ
- ほうれん草
- 春菊(地域によっては菊菜かな)
- 納豆
以上の4品。もっとあると思いますが代表的な4つを紹介しました。
そして、原体験があるがゆえ受け付けられない味覚というものがあるというのです。僕の場合、
- パクチー
- セロリ
この中のパクチーですけど、美味しく感じられる人と、全く受け付けられない人に2極化されている食材だと思います。僕なんてパクチーはカメムシの臭いがするとしか思えません。そして、このパクチーが「原体験で受け付けられないもの」の代表らしいのです。おとなになってパクチーが食べられるようになるには5歳までにパクチー的な味に慣れ親しんでおくことが必要なのだとか…というのを思い出してググってみましたけど、見当たりませんでした。もしかしたら、僕のパクチー嫌いを自己肯定するために頭の中で想像されたことかもしれません。
でも目玉焼きのソース派・醤油派に当てはめてみると、あながち間違いでもなさそう
と、思うのです。両親を始めとする身近な人が、ソースか醤油のどちらで目玉焼きを食べるように躾けたのかということなのではないでしょうか?
結論:ソース派・醤油派の論争には首を突っ込まない!
コレでしょうねw
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