半年ぶりぐらいに「小学生からの質問」シリーズ。
友情とは
友情という言葉だけでも「何なのか」は十分に伝わってくる。
では、小学生にはどのように伝えよう。
我らがWikipediaによると「共感や信頼の情を抱き合って互いを肯定し合う人間関係、もしくはそういった感情のこと。友達同士の間に生まれる情愛。しかし、それはすべての友達にあるものではなく、自己犠牲ができるほどの友達関係の中に存在する。」ということだ。これでも伝わってくる。しかし、人間を50年もやっていると「友だち」という言葉にも随分と幅があるように感じるようになってしまうものだ。そこでじっくりと深く考えてみたいと思う。
なぜ迷いがおこるのかというと
「友」の定義がこの年令になって揺らいでいる。一方的な友への信頼を捧げていても「裏切られること」がある。
裏切りという言葉を使うにしても、心から信頼に背いたのか、指導の意味があったのか、単にこちらが過剰に期待していただけなのか、裏切りという感情に至った経緯の分析は必要なんだろう。
おそらくは「過剰に期待していただけ」なんだと思いたいけど。
僕が決めていること
僕が友との間に決めていることはひとつだけ。
「一緒に仕事をしない」
深く考えたことなかったけど、本能的に「自分から過剰に期待しない」というのを実践していたんだろうと思う。裏切られない予防線を張っていたのかもしれない。いずれにせよ50年生きてきて、この行動は相当正しかったんじゃないかな。おかげで友から裏切られたことというのは記憶にない。もちろん、友以外の人間から裏切られたことは山ほどあるけどね。
僕が考える友情とは
「決して裏切らないという気持ちが相手との間で双方向に働いている感情」で、どう?
小学生にはやや難しいかもしれない…
映画版のクレヨンしんちゃんの主題歌でケツメイシが歌っている「友よ ~ この先もずっと」という曲がある。クレヨンしんちゃんを映画館で見ることはないので、知ったのはつい最近。著作権があるので詞は書かないけど、あの気持は小学生に伝わりやすい友情のように思う。
自己犠牲ということからいうと
ロード・オブ・ザ・リングは「情」を描いた映画として名作だった。
「二つの塔」のシーンで、峡谷に逃げんこんで決戦を決意する人間のもとにエルフが援軍を送る。将はハルディア。ハルディアはこの戦いで生き残れると思っていなかったろう。実際に激しい戦いの中で命を落とす運命にある。それは最初から覚悟していたことだろう。それでも友への思いを果たすため(裏切らないため)に戦へ赴いた。
これも友情。
最近見かけた言葉
「理由もなく会えるのが友達で、
理由がないと会わないのが知り合いで、
理由を作って会いたくなるのが好きな人。」
友と会うのに理由はいらないよね
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